【239冊目】 リン・ピクネット & クライブ・プリンス (新井雅代訳) 『トリノの聖骸布』 白水社 (1995年: 原著1994年)

トリノ大聖堂には、男性の正面と背面の像が実物大に浮きだし、そこに磔刑の跡をはっきりとたどれる布がある。これはイエスの遺骸を包んだ埋葬布として、キリスト教徒の信仰の対象となってきたものである。
 不可思議なことは、この像を写真に撮ると、そのネガのほうが実物よりも鮮明になるという事実であった。イエスの時代に写真の技術があったはずはない。これは奇跡としか言いようがない。
 だが、この布について聖書は一言も言及せず、しかも歴史をたどると14世紀に忽然と出現している。つまり出自にあいまいなところがある。そこでこれまでにも真贋論争がくりかえされていた。
 20世紀になると、ヴァチカンはこの布の科学的調査をはじめた。決定的だったのは1980年代末に実施された放射性同位元素による年代測定で、布の作成は95パーセントの信頼度で1260年から1390年に製作されたという結論が出た。トリノの聖骸布は偽物であった!
信仰派からさっそく超常現象による説明が提案された。まず念写説。14世紀の巡礼の集団的な信仰がこの布に像を写し出した。だが中世人の理解は、イエスの手に打たれたクギの位置について、図像学的にいってトリノの像と違っていたはずだ。
 ついで核閃光説。イエスの復活時点で遺体から高エネルギー放射があり、これが布に像を固定し、同時に布の放射性炭素の含有量を増大させて年代測定を狂わせる結果を生んだ。これはNASAの物理学者の説。だが、この説では発光体=被写体であり、写真であれば発光体と被写体とは違わなければおかしい。第一、高温高圧の核反応のもとで布が炭化もしないで残っているのが不審だ。
 さらに化学反応説。遺骸から蒸気や体液が侵出して染みを作った。だが、蒸気にしても体液にしても、じわりと滲み出るものであり、それにしては画像がくっきりとしすぎている。しかも布の裏側に像の変色が滲み出ていない。
 超常現象は否定されたが、ここで新しい疑問が生じた。この布がどのような方法で作られたのか、現代の技術的知識ではまったく推測できない。この像が絵画でないことはべつの調査で顔料などが検出されていないことで確認されていた。かりに絵画であったとしても、中世人の解剖学的知識ではこの像の迫真性を表現することはできなかったはずである。さらに写真のネガ効果についても説明に窮する。
 話はここから始まる。この事実を知ったジャーナリストとシステム・エンジニアが協力してこの謎解きを始める。この二人がこの本の著者であり、その謎解きについての経過と成果の報告がこの本の内容となっている。
 謎解きは聖骸布の歴史的記録を点検することからはじまった。いつ、どこで、だれが聖骸布についての記録を残しているか。その記述は現在の聖骸布と矛盾していないか。
 最初の記録は14世紀のものであることはこれまでの考証から分かっていた。だが当時の記録によれば、像は絵画であったとされている。その後、15世紀末に記録上の断絶があり、このあとの記録は現在のものと符合している。像はすり替えられた!この理由はなにか。史料を渉猟すると、シオン修道会がこのすり替えに関与していたことも分かる。
 15世紀末に像のすり替えがあったとして、現存の画像を製作できるような高度な技術を駆使できた人物はいったいだれだったのか。たった一人、そのような資格をもつ人が実在した。レオナルド・ダ・ヴィンチである。
 だが、レオナルドはなぜそのようなことをしたのか。動機はなにか。また、かれは生涯のどの時期にそれをしたのか。それは史実と合うか。かれは写真技術を駆使できたのか。その証拠はあるか。このような疑問を追跡しているうちに、レオナルドがシオン修道会の主要メンバーであったことも確かめられる。
 著者はある仮説を立て、それを実証するための実験装置まで組み立てる。その結果、レオナルド時代の技術水準で、聖骸布に似た画像を作ることに成功する。
 最後に、この本の面白さを宣伝しておこう。この本のテーマには多分野にわたる人物が登場し、さまざまな発想を披瀝し、批判しあう。そのために神学、歴史、美術、技術に関するたくさんのジャンク情報が飛び交う。それらに対する著者の吟味の当否が、読者の好奇心をゆさぶる。
 もう一点。ある現象を否定するには一つの証拠があれば十分だが、それを肯定するために決定的な証拠を見つけることは難い。著者の示したものも一つの状況証拠にすぎない。評者も著者の結論に納得したわけではない。だが、答えのない問題というものは、読者の想像力を駆り立てるものである。

『一冊の本』 1巻1号 (1996年)