【192冊目】 竹内啓 『情報革命時代の経済学:希望と憂欝』 岩波書店 (1987年)

この本は、現在の技術優先、市場優先の風潮のなかで、経済学になにができるのか、それを考えている。だから、アレコレのトピックスを並びたてることではなく、そのようなトピックスを解釈するための枠組みを提供している。
 この本は3部に分かれている。まず、第1部では「技術革新と現代社会」について、さまざまな角度から考察がなされている。
 冒頭に「資本主義は永遠か」という私たちが久しく忘れていた台詞が掲げられる。ここで、私たらはあまりにも慣れ親しんでしまった市場メカニズムのありようについて、著者から注意をうける。
 つぎに「技術革新と社会革命」という論文が続く。ここでは、技術を歴史的に回顧しながら、その社会革命へのインパクトを整理している。その結果を未来に外挿して「情報革命は官僚性と市場という近代社会の情報処理機構に大きい影響を与えるだろう」という見通しが述べられている。この論旨は、つづく「情報革命と経済」と「現代技術の性格」の章で詳論されている。
 ここで衝撃的なタイトルの章が現れる。それは「先端技術は経済成長をもたらさない」という論文である。この主張は、私たち情報通信技術を生業とする人間にはなんとも憂欝な話であるが、委曲はつくされており、十分に説得的である。なぜそうなるのか。「先端技術が<質の論理>へと転換しつつあるとき、経済は依然として貨幣経済という<量の論理>に従っているからである」。
 第2部は「経済学とイデオロギー」と題され、「経済学の方法」「経済学の憂欝」など4編の論文が収録されている。ここでは、グランド・セオリーではなくピースミール・エンジニアリングでいこうとか、脱イデオロギーという「科学性」はこれまたひとつのイデオロギーであるとか、「存在するものは合理的である」という楽観論はニヒリズムに通じるとか、示唆に富む指摘がくりかえされる。
 第3部は「日本経済の現実と将来」と題され、5編の論文が収録されている。ここでは、「近代化」「豊かさ」「経済効率」「内需拡大」などという話題をめぐって、著者の自由な考察を聞くことができる。話題はさまざまであるが、ここに一貫しているものは「<効率>一本やりのこれまでの経済活動を今後も通していけるのだろうか、いくべきなのだろうか」という読者への語りかけである。本書のサブタイトルに「希望と憂欝」とあるが、全編を通じて、著者の心は希望よりも憂欝のほうに偏っているようだ。
 この本の叙述は、すべて序論のレベルでとどまっている。だから読者は、本論を読みたいものだと切実に求めることになるはず。だが著者は、それは読者が自分で考えることであると期待されているようである。

『コンピュートピア』  21巻253号 (1987年)