【193冊目】 猪瀬博 『センター・オブ・エクキセレンスの構築:技術大国日本の課題』 日本経済新聞社 (1990年)

著者は、デジタル交換機の分野で著名な成果をあげた研究者であり、OECDの科学技術政策委員会の委員会の議長として活躍した国際的な行政官であり、また『情報技術と文明』という著書をもつ文化人でもある。その著者が、この数年間にした講演をまとめたものが、この本である。
 この本には、5つの講演原稿が収められているが、テーマは一貫している。それは、日本の先端的基礎研究(ジェネリック・テクノロジー)の卓越性を、どうしたら確保できるのか、それはなぜ必要なのか、ということである。
 1章では、日米間における「科学技術摩擦の高まり」について、双方のいい分が比較検討される。
 日本は海外の基礎研究の成果にタダのりしている。日本の研究成果への均衡のとれたアクセスを保証せよ。日本語のバリアが大きい。ここまでが米国側の非難。軍事技術と民生技術との境界が曖昧である。知的所有権の主張が過剰にすぎる。企業は技術開発に対する怠慢を通商法で不当に保護してもらっている。以上が日本側の不満。
 著者は、相手側の非難については当方の対応策を示しているが、当方の不満に対しては、相手国の良識に期待しにくい、と絶望的である。
 2章では、日本の「科学技術政策の課題」を点検する。著者の答えは正統的である。構造調整を推進せよ(たとえば厚利少売型商品の開発)。基礎研究を充実せよ(とくに大学の活性化)。生活の質を向上せよ(たとえば環境問題への対応)。国際交流を推進せよ(まずシンメトリカル・アクセスの実現)。
 3章では、「情報技術と文明」について、ひとつの見解が示される。著者は、ニーズの巨大化と、サービスの細分化とが問題となる、という。
 4章では、日本の科学技術分野における「独創性と人材開発」について、さまざまの角度からの考察が進められる。
 日本人に独創性はあるのか。独創性はどのように発現するのか。発現のためには、どんな要件、どんな環境が必要なのか。科学技術教育投資はどんな意味をもつのか。大学の役割はなにか。著者は、日本人には独創性ありと主張し、だが、日本企業は、米国企業より、大学教育の不完全な分だけ余分のコストを支払っている、と指摘する。
 このような準備のあとで、5章では、いいよいよ本題の「センター・オブ・エクセレンス」についての提案が示される。
 著者は日本にはセンター・オブ・エクセレンスは存在しない、21世紀にはNIES諸国にも遅れをとるようになるかもしれない、と警告している。著者の主張は、とりあえずは東京大学先端科学技術研究センターの設立として結実した。その活動の内容については、『ジェネリック・テクノロジーの発振』(三田出版会)に紹介されている。
 1980年代のビジネス優位、市場優先の風潮のなかで、日本の公的投資はすっかり遅れてしまった。大学がその例である。この遅れを取りもどさなければならない。これが著者の結論である。憂国の情が文章の節々にうかがえる本である。

KDDテクニカル・ジャーナル』 6号 (1991年)