【214冊目】  松田政行 『コンピュータ時代の知的所有権』 ぎょうせい (1988年)

【2012年の注】 フリー・ソフトウェアは遠い世界の話、P2Pはまだ存在しなかった。そのような時代の本。

このところ知的所有権について関心が高まり、新聞紙上には毎日のように記事がでる。とくにコンピュータ・ソフトウェアの権利にかんしては、問題が新しいこともあり、先端的なビジネスに関係することもあって、さまざまの視点から論議が集中している。
 したがって、知的所有権にかかわる書物もけっこう刊行されている。まず、法律の逐条的な解説書がある。つぎに、知的所有権問題を国際関係の枠組みのなかで論じたものがある。また、先端技術にかんする知的所有権制度を産業政策にからませて考察した論稿もある。あるいは、知的所有権の侵害例をジャーナリスティックに紹介した読物もある。さらに、知的所有権制度のあり方について検討した公的委員会の報告書(それ自体およびその紹介)もある。
 ここに紹介する本は、これらのいずれとも性格を異にするものである。それを、つぎに列挙しておこう。
 第1に、この本はソフトウェアのベンダーまたはユーザーの立場で書かれている。これまでの類書は、法律家の側から書いた逐条解説のたぐいがほとんどであった。ということは、法律の枠組みにもとづいて知的所有権を説くものであった。だが、この本は、ソフトウェア・ベンダーまたはユーザーの発想で知的所有権制度を切っている。
 第2に、この本は法律の条文のあれこれを詳細に解説するものではない。法律の考え方を丁寧に紹介してくれる。このほうが法律のしろうとには理解しやすい。
 第3に、法律家は、現行制度ですべての問題を解決しうる、という論法で解説したがる。だが、この本では、現行制度で不明な点、あいまいな点をはっきりと指摘している。したがって読者は、どこまでは法律にたよれるのか、理解できる。
 第4に、この本は、知的所有権にかんする米国の戦略がどうとか、日本における知的所有権制度の歪がどうか、とかいうような論議は一切省略している。この点も実務者としては納得できる。
 以下、内容を紹介する。
 「なぜ今、知的所有権なのか」(1章)では、情報社会にはいり、知的所有権の価値がビジネスにとってきわだって高くなってきた、と説かれる。
 「コンピュータをとりまく知的所有権」(2章)では、この分野でなにが知的所有権の対象になるのか、それが簡単にスケッチされる。
 「コンピュータ・プログラムのストラクチャーの保護」(3章)では、プログラムの何が保護されるのか、何が問題になっているのか、判断の多義性が説明される。
 「マンマシン・インターフェースの保護」(4章)では、スクリーン表示の保護について、ゆれつつある判断が紹介される。
 「ニューメディアと著作権」(5章)では、ニューメディアの権利が旧メディアと対比されつつ検討される。
 「データベースビジソスと著作権」(6章)では、データベースの権利保護のむずかしさが指摘される。
 「裁判例からの検討」(7章)では、知的所有権をめぐる事例について、これまでの典型例が紹介されている。
 「コンピュータ・ビジネスと国際的問題」(8章)では、並行輸入、逆輸入、技術導入契約などについて、具体的なガイダンスがなされる。これには類書がない。
 最後に苦言を呈するとすれば、トレード・シークレットとのかかわりも紹介されていたらより親切ではなかったかな、ということ。もう一つ、文体が冗長である、と感じたこと。
                                
『コンピュートピア』 23卷272号 (1988年)