【219冊目】 広松毅・大平号声 『情報経済のマクロ分析』 東洋経済新報社 (1990年)

この本は、これまでの内外の情報経済論を批判的に摂取し、そのうえで日本国の情報経済の姿を、著者独自の枠組みのなかで整理したものである。
 まず「情報経済論の系譜」という章がある。ここでは内外の情報経済論のエッセンスが要領よく紹介される。
 つぎに話題は「情報と情報財」という章に移る。ここで著者は、この本の対象は「情報」ではなく「情報財」である、という。この定義によって、情報商品や情報サービスを扱うばあいに紛れこむ曖昧さを洗いおとす。このうえで、著者は情報財の特徴を示し、またその分類を試みる(観天望気は情報、天気予報は情報財)。
 テーマは「情報財の価値と価格決定」へと進む。ここで著者は、市場で取引される情報のありようを考察する。そして情報の価格に神秘主義をもちこむ議論を遠ざける。
 ここで、この本の主題「情報経済の計量分析」に入る。著者は、産業を情報産業、情報支援産業(コンピュータ・メーカーやコモン・キャリア)、さらに非情報産業に分類する。著者が情報産業として定義するものは、研究、広告、映画、写真業、土木建築サービス、新聞、出版、データ処理、情報提供サービス、法務・財務・会計サービス、放送、事業所サービスである。この情報産業の定義は、情報支援産業まで含めた在来の定義に比べて、きわめて禁欲的である。
 著者は、このような分類に立って、既存の統計を駆使しつつ、足らない部分を補強しつつ、日本経済の情報化の姿を紹介する。この部分には、きわめて興味ある数字が列挙されており、ここを一覧するだけでも、読者は、学ぶところが多く、また、自分の考えを発展させるための契機を見つけることができるはずである。
 つぎに議論は「組織内情報活動」(非情報産業のなかの情報部門の活動)に移る。ここでも、読者は興味深い数字に出会う。たとえば、組織内情報部門の総産出高は117兆円であり、これに比べて情報産業の総産出高は27兆円にすぎない、という数字。
 最後の章は「情報化の経済分析」を論じている。
 このあと「情報化と情報指標」という付録が続くが、ここでさまざまの情報指標(家計調査、情報流通センサスなど)が紹介される。それぞれに興味深い。
 評者の感想を少々。
 まず、著者の努力にもかかわらず、情報財の得体のしれなさは、この本でも充分に整理できているとはいえない。これは、情報それ自体の奔放な性格によるものだろう。
 つぎに、著者は情報の遣り取りには贈与の要素が不可分についてまわる、ということを無視している。評者は、この贈与があるために、情報社会には前市場経済 あるいは脱市場経済 の論理が持ちこまれる、と考えるのだが。
もう一つ。著者はあくまでも情報産業を主たる対象として議論しているかにみえる。だが評者は、著者の発想をよしとしたうえで、むしろ情報支援産業のほうを情報社会の主役とみることはできないか、と考える。市場経済のなかでは、このほうが財としては筋がよいわけだし、シェアも大きいのだから。
 以上は経済に不案内な評者の感想である。不案内であるために、著者に礼を失したかもしれない。だが門外漢にも、これだけ言わせてしまう面白さを、この本はもっている。

『コンピュートピア』 11月号 (1990年)