【221冊目】 ラルフ・W・モス(蔵本喜久、桜井民子訳)『がん産業(上)(下)』 学樹書院 (1995年)

医薬分野の専門家ではない評者は、この本を書評欄にとりあげるかどうかについて、ためらいを感じた。だが最後に述べる理由によって、あえて紹介したい。
 この本は次のようなテーマに関するがん治療の現状報告である。
 第1に、既存の治療法にはすでに多数の医師が習熟しており、また巨大な投資がなされているので、これを変更することは不可能である。
 第2に、新しく開発された実験的な治療法は、正統的な立場からみると手続的に不備の点が多く、虚偽医療という烙印を押されがちである。
 第3に、予防と治療とを比較すると、後者のほうがビジネスとして収益性が高く、このために予防はおろそかになりがちである。
 第4に、正統派を形成する政府機関と民間非営利団体のコア・メンバーには、産業界の影響力が強い。
 以上のように、この本は告発型の主張に貫かれている。とはいうものの、上下2巻、全800ページにおよぶこの本は、全編にわたり研究論文の紹介と研究者へのインタビュー記事からなっいるために、主題が厳しいにもかかわらず、読者は中立的な余裕をもって読むことができる。
 評者がこの本を紹介しようとした理由は、上記の第2の課題に関してである。
 新しい治療法が発表されようとする。だが、それが新しすぎるほど、伝統的な立場からは認めがたい。そこで、学会誌の編集者は、発表者により厳密な研究結果の提出を要求する。
 ところが、そのような厳密な研究をするためには資金が必要である。だが、そのための助成金は、きちんとした研究成果が示されていなければ与えられない。
 つぎに新しい治療法の提案者がこのバリアを越えてその治療を開始したとする。行政や正統派の立場からみれば、ことは人間の生死にかかわる問題である。新しい治療法は、正式の手続きによって認められるべきである。したがって政府機関は、その治療法を「証明されていない方法」つまり「贋治療法」と指定し、行政権限で葬りさることを義務とする。
 このような環境では、正統派のパラダイムのもとにあるという条件のもとでしか、新しい治療法は学会誌に掲載されず、助成金も得られず、政府からも認可されない、ということになる。
 日本でも事情はおなじなのではないか。多分、専門家諸氏はすでに知りつくしておられることなのだろう。だが評者は、この本は非専門家に気掛かりな状況を教えてくれる情報源として、得難い価値をもっていると考える。
 なお上巻と下巻にはそれぞれ『がん治療をめぐる政治的力関係の構図』『予防の妨害と科学の抑圧』というサブタイトルがついている。

東洋経済』 12月7日号 (1995年)