【231冊目】 半田智久 『知能のスーパーストリーム』 新曜社 (1989年)

この本のタイトルはなにやらニュー・サイエンスじみていていかがわしいが、中身はどうしてマトモで重量感がある。
 この本の気宇は壮大で、「知能」とは何かということについて、その意味を動物の進化に沿って語る。まずゴキブリ(著者はこの命名法を好まない)からはじめ、ハト、サル、類人猿を経て、化石人類にいたり、最後に現生人に達する。ところが、これで決着がつかないで、話は人工知能におよぶという趣向になっている。
 1章は「知の連続線」と題されている。ここでは知能というものが、当の動物の脳に関係していることはもちろんであるが、それだけではなく当の動物のからだ全体の構造や機能にも深く依存していることが説かれている。さらに脳それ自体についても、どんな部分のどんな量が知能に関係するのかが検討されている。あとの議論のはこびを期待させる冒頭である。
 2章は「無脊椎動物の学習」を論じている。まずゴキブリが引合にだされる。この昆虫は学習を「頭ではなく、からだで覚える」。つまり学習の基本型は進化のごくはじめの動物にもみられるという。
 3章は「動物は何を学んでいるか」について説かれる。在来の「刺激: 反応」説は単純すぎると指摘される。この行動理論に置き換わるものは、「反応: 結果」論のほうが大切であるという認識である。動物にとっては、報酬への期待や予測が学習に関係するという。
 4章は「類人猿の言語学習」がレビューされる。この章では類人猿に言語を覚えさせようとしたさまざまの実験が紹介される。はじめは見当ちがいであった実験方法がしだいに洗練されてくるところは話としてもおもしろい。巧みな実験によって類人猿でも記号を理解できたというあたりは圧巻である。
 5章は「人類の進化と新しい知の誕生」では人類の進化がスケッチされる。この章は平凡。著者の論理の冴えは、社会学文化人類学には及ばないらしい。
 6章は「人間の精神の重層構造」について説明される。ポラニー(物理学者にして哲学者であったほうのポラニー)には「暗黙知」(私たちは語ることができるより多くのことを知っている)という概念があるが、その暗黙知について、著者は脳の構造や機能と対応づけつつ論じる。
 7章は「人間の知能」について考察している。とくに知能テストの意味とか双生児の対称研究について、冷静な批判がなされている。
 8章は「コンピュータの出現と人工知能」について議論が展開される。ここでは「並列処理コンピュータ」「バイオコンピュータ」「バイオ素子」などの概念について、それぞれ脳とどのくらい関係があるのかを吟味している。著者の回答は辛辣である。
 9章の「スーパーI、超知能へ」でこの本は終わる。著者は意気ごんで人間とコンピュータとの共存のあり方を論じている。ここは残念ながらコンピュータ屋にとっては常識に属する。
 若干の精粗はあるものの、総体的にみて、小冊子のくせにぎっしりとデータがつまり、しかもそれが有機的に構成されている。読者は一読後、きっと賢くなったと感じるにちがいない。

『コンピュートピア』 8月号 (1989年)