【250冊目】 服部桂 『人工現実感の世界』 工業調査会 (1991年)

人工現実感」という言葉は座りが悪い。「人工」(「バーチャル」または「アーティフィシャル」)であれば、「現実」(リアリティ)とはいわない。だが、こんな議論をしているあいだに技術のほうはどんどん進んでいる。
 では、その人工現実感とは一体どんなものなのか。それは「自分の知らない世界を自分の経験として与えてもらえる仕掛け」であるという。つまり、洗練したゲームやシミュレータと思ったらよいらしい。
 この人工現実感を、日本ではじめて、包括的に紹介したものが、この本である。全体は4章に分かれている。
 第1章は、まず「人工現実感とは何か?」を紹介する。著者は、代表例を訪問し、あわせてその技術的系譜をたどる。これで読者は、この技術について一応のコンセプトをうることができる。
 第2章は、「走り出した人工現実感研究」を一覧する。著者は、この技術が多くの分野において開発されていることを示す。たとえば、軍事用沿革制御ロボット、分子操作用テレロボティクス、仮想ワークステーション、医学・科学用ビジュアリゼーション、仮想インタフェース、仮想触覚、三次元マウス、超時空通信など(中身は、用語から想像してほしい)。
 第3章は「リアリティ・エンジン・ビルダー」が語られる。この章では人工現実感にかんする製品とそのメーカーを紹介する。著者によれば、市場は小さく、したがって製品は手作りでありかつ高価である、とのことである。
 第4章は「人工現実感の応用と展望」が述べられる。ここでは、インテリア・デザインのプレゼンテーション用、次世代の娯楽用ゲーム用、建築、医学などにおける遠隔操作制御用などの応用についての見通しが、確認される。
 最後に、私たちの意識の拡張、という視点でのこの技術の可能性が点検される。この領域での進歩は、将来、人工現実感に麻薬的な機能をもたせることになるのかもしれない。そうであれば、人間性におよぼす影響ははかりしれない。だが、著者は控え目な記述にとどめている。評者は、これにかんする著者の忌憚ない意見を聞きたかった。
 人工現実感というものは、個人向けに、視覚、聴覚、触覚、運動感覚など、さまざまの感覚を集大成する技術である。したがって人工現実感を語る本は、これら多様な感覚にかんする記述をすべて文章と写真、図面で表現しなければならない。これは、本というメディアには荷の重い課題である。だが著者は、この課題を、ルポルタージュという新聞記者の得意とする方法で見事に解決している。

東洋経済』 9月21日号 (1991年)