【253冊目】 D.S.カージャラ・椙山敬士 『コンピュータ・著作権法』 日本評論社 (1989年)

コンピュータ・プログラムの権利保護が問題になりはじめて、やがて10年になる。この問題が生じたために、システム技術者と法律家とはたがいに交流するようになった。
 この2つの職種についている人間は、どうやら似たサガをもっているらしい。というのは、システム技術者はスパゲッティのようなプログラムを書くのが得意であるし、法律家もまたスパゲッティのような文章をヨシとしているからである。それに正確さへの偏愛をもっていることも、酷似している。
 だから、本来、双方は相手の話が分かるはずである。また、相手に話を分からせることができるはずである。ところが、現実にはかならずしもそうではなかった。
 システム技術者からみれば、法律家の書くものは、あまり面白いものではない。たいていのばあい、法律の逐条解説であったり判例の紹介であったりする。つまり法律制度に合わせて技術を料理している。プログラムの権利保護に関する本にしても、同様であった。
 ところが、ここに紹介する本は、システム技術者によく分かる本である。しかも面白く読める。この点、たくさんある類書にはない特色をもっている。それは技術の論理にあわせて法律を裁断しているからである。
 この本は、360ページをこえる大冊であるが、テーマはわずか3つに集中している。それは
 ・ マイクロプログラムやOSの権利保護をどうみたらよいか。
 ・ プログラマー先行者アルゴリズムをどこまで踏襲することができるか。
 ・ リバース・エンジニアリングは許されるか。
というものである。この3つの基本主題は、この本のなかでくりかえし、さまざまの視点から検討される。それは、まさにフーガの大曲を聴く感を読者にあたえる。
 このフーガでは、うえの3つの主題が、著作権法の建前、日米の判例批判、産業政策上の配慮、プログラム技術の限界、といった楽想にしたがって、つぎつぎに展開される。
 このフーガを作曲し演奏しているのは、日米という異なる国籍をもつ2人の法律家である。この2人の呼吸は、微妙にくいちがい演奏に緊張をもちこみながら、しかも全体としては、見事な作品を仕上げている。
 この本は3部に分かれている。第1部は「日本のコンピュータ関係著作権法」というタイトルをもち、「プログラム著作物保護の例外」「ビデオゲームは映画の著作物か」「リバース・エンジニアリングに関する最初の判例」という構成になっている。ここで読者は、問題のありかについて頭のなかを整理してもらえる。
 第2部は「アメリカのコンピュータ関係著作権法」というタイトルをもち、「著作権、ソフトウェアと新保護主義」「アメリカのコンピュータ・著作権法」「アメリカの著作権保護法制の検討」という構成になっている。この部分が、この本のなかでもっとも読みごたえのあるところである。
 門外漢が法律の本を読んで「面白い」ということは、まずないはず。ところが、それがここにある。なぜか。それはプログラム権利の保護に関する法的な論理が、まだ確立されてないために、米国の判例にさまざまの試行錯誤があるから。それが見事に整理されて紹介されている。
 第3部は「日米著作権法の基本概念」というタイトルをもち、全体をしめくくっている。
 なお、この本にはおびただしい注が付けられている。これがまた面白い。逆にこの注をさきに見て、面白いところの本文を読む、という読み方も可能だろう。
 この本の主目的は、問題の紹介と整理にある。だが、著者は自分の意見を主張することをためらってはいない。著者の意見は、プログラムの権利をバランスよく先行者と後続者に分配するにはどうすべきか、という視点でまとめられている。このためには、侵害の証拠ありなしで、著作権侵害の有無について決着したらどうか、と示唆している。

『bit』 22巻8号 (1990年)