【260冊目】 立平良三 『天気情報の見方』 岩波新書

天気予報の本、その2。
 全編これ数値予報の話。観天望気の話など、もう、これっぽっちもない。コンピュータが、アメダスとレーダーと「ひまわり」が集めた情報を、ひたすら計算する趣向になっている。天気図もコンピュータのアウトプットだけ。
 コンピュータ化によって、予報は当たるようになったのか。東京地方の翌日予報の成績は、戦争直後に75点だったのが、40年後に80点になった。
 天気には持続性がある。そこで「明日の天気は今日と同じ」と予報すると、それでも70点はとれる。また、天気には周期性がある。そこで「明日の天気は昨年の同月同日に同じ」と予報すると、やはり70点はとれる。
 この70点と、さきの75点ないし80点との差が予報の成果になる。こうみると、この差は40年間に5点から10点に、つまり2倍になった。これがコンピュータの手柄になる。
 数値予報は、経験法則つまり観天望気を使わずに、物理学の法則だけで天気を予測したいという発想がもとになっている。この物理法則、じつは持続性や周期性では説明しきれない複雑な特性(非線型性)をもっている。だからコンピュータの出番となった。数値予報の仕掛けについては岩崎俊樹の『数値予報』(共立出版)が数式ぬきで解説してくれる。
 ところで、どんなに高速のコンピュータを使っても、どんなにたくさんのデータを集めても、予報できる期間には限界
があるらしい。
 データのはじめの値がちょっと違うと(たとえば数1000分の1)、あとの計算結果が大幅に食い違ってしまう。この現象をカオスという。このために予報が有効なのはせいぜい2週間。この現象を発見したのは数値予報の研究者ローレンツだという。このへんの経緯、戸田盛和の『カオス』(岩波書店)にある。
 話をもどす。的中率80点はよいとして、外れた20点について、見逃し(降らないと予報したのに降った)がよいのか、空振り(降ると予報したのに降らなかった)がよいのか。著者は、これを数理的なゲームに仕立て、あれこれと思考実験を楽しんでいる。
 だが、それも総務庁の手にかかると官僚制の弊害を示すテーマとなる。行政監察局の『予報精度の向上と民間気象業務の発展をめざして』は、警報を重視せよ、空振りよりも見逃しに注意せよ、警報をその地域の災害と関係づけよ、とニベもない。
 天気予報が当たらなかったとき、気象台の責任はどうなるのか。著者は、気象庁長官を務めたという立場上、口を噤んでいる。
 じつはこのテーマ、米国に判例がある。台風警報の出し遅れで遭難した漁師の家族が気象台を訴えた。この判決の行方については名和小太郎著『雲を盗む』(朝日新聞社,1996年)を参照ねがいたい(最後に手前味噌になって恐縮)。

【注】 著者はその後『気象予報による意思決定:不確実情報の経済的価値』(東京堂出版,1999年)を発表している。

『一冊の本』 1巻8号 (1996年)