【286冊目】 今井賢一・金子郁容 『ネットワーク組織論』 岩波書店 (1988年)

                                                      
この本は「ネットワーク」というものについて、一つの見方を示したものである。著者によれば、ネットワークとは「きわどい言葉」(多義的)であるとのこと。それをやや斜めに構えて解釈してみた、というのがこの本。ただし、著者は、このほうが現実にふさわしい解釈である、と主張したいようだ。
 プロローグではこの本の問題意識が示される。「従来より精巧で、きめ細かい、多重な情報ネットワーク・インフラストラクチャーを基盤とする今後の経済社会の中心を形成するのは、近年までに支配的であったアメリカ的文脈(大量生産・大量販売方式)より、もっと精密で、敏感で、多面的なものになろう。」
 第1章は「ネットワークとしての産業社会」を語っている。ここでは、在来の大量生産・大量販売システムにおいては情報が組織の頂点にあった、ということが指摘される。
 ついで、日本の財閥・企業グループにおける情報観が歴史的にスケッチされ、それが成長の時代に相応しいものであったと説明される。
 このあとで、成熟期に入った日本の経済社会においては、このような情報観では袋小路に入ってしまうのではないかという著者の見通しが述べられ、第2章に移る。
 第2章は「変容する社会と企業」が紹介される。ここでは、ネットワークを利用して縦横に活動をはじめた日本の中堅企業の姿がつぎつぎに示される。このような企業の活動を著者は「ネットワーク分業」という概念で整理している。それは、ネットワークを構成するさまざまの企業が、それぞれの場面情報(現場の具体的な情報)を大切にしながら柔軟な協力関係を作っていく方法である。
 第3章は「ネットワークと経済秩序」を論じている。ここでは、市場秩序というものへの古典的な理解が、現代ではいかに実態にそぐわないものになっているかが、説明されている。さらに、情報が上部に集中していたのでは企業は動かなくなったとか、経済的交換一本槍では企業間の協力は難しくなった、ということなどが指摘されている。
 第4章では「脈絡の形成プロセス」を説いている(「脈絡」とは、全体のまとまり、といったものを意味する)。ここで著者は、そのネットワーク論の理論的根拠として、「ミクロ・マクロ・ループ」(全体と部分とのあいだのフィードバック・ループ)による情報の自己組織化を追及している。
 第5章は「ネットワーク社会展望」が語られる。前章の理論の肉付けがここで都市論にそくしてなされている。そして最後に、古典的経済学における「見えざる手」の現代版として「ネットワーク多様体」(一つの企業が複数の異質なネットワークを展開する、という姿)というものが提案されている。著者によれば、この多様体を把握できる人が「企業者」ということになり。この企業者の判断は、市場のなかで承認されて展開することとなる。
 評者は、伝統的な要素還元主義者であるので、この本を手にしたときにはややたじろいだ。「場面情報」「ミクロ・マクロ・ループ」「ネットワーク多様体」などという造語に、いま一つなじめなかった。(いずれも、この紹介の引用部分に評者なりの注をつけたが、いま一つ自信がない。正確に説明しようとするほど混乱しそうな概念である。)
 だが、なじみにくいとは、読者を挑発するということだからである。挑発された読者は、ページをめくるごとに著者と議論したくなるだろう。この意味で、データ集とかニュース集のような本の多い今日、歯応えのある読書の悦びを期待する方々に、この本を薦めたい。
 最後に一つ。評者が心配したことは、現在のネットワーク技術(とくにソフトウェア技術)が著者の期待するほどの柔軟性をもっているのかな、ということである。

『コンピュートピア』 22巻260号 (1988年)